東京地方裁判所 昭和57年(ワ)10166号 判決 1983年11月14日
原告
田村悦子
右訴訟代理人
杉井健二
被告
佐藤学
被告
有限会社丸茂京葉輸送
右代表者
植竹茂
右被告両名訴訟代理人
本村俊学
主文
1 被告らは、連帯して、原告に対し、金五六万四四八〇円及びこれに対する昭和五六年一一月一七日以降右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
2 原告のその余の各請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、被告らの連帯負担とする。
4 この判決の主文第一項は、仮に執行することができる。
5 被告佐藤学において金四九万円の担保を供するときは、同被告は、原告の同被告に対する前項の仮執行をまぬがれることができる。
6 被告有限会社丸茂京葉輸送において金五六万円の担保を供するときは、同被告は、原告の同被告に対する第5項の仮執行をまぬがれることができる。
事実《省略》
理由
第一本件事故の態様について検討する。
昭和五六年一一月一六日午後三時五五分ころ、原告が東京都北区豊島町二―二六先交差点を自転車に乗つて横断中、左折してきた被告佐藤の運転する加害車が原告に衝突したこと及び被告らの各責任原因の点は当事者間に争いがない。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
前記日時、場所において、原告が、保育園へ子供を迎えに行くため、自転車に乗つて、信号機のある交差点に差しかかり、青信号に従い、極く普通の速度をもつて横断歩道上を横断中、被告佐藤は、その右方より、速度を時速四〇キロメートルから同二〇キロメートルにおとして普通貨物自動車を運転左折し、巾員一六メートルの広い道から同4.5メートルの狭い道へ入ろうとした際、原告の乗つた右自転車が道路左側の歩道上から交差点の人影もない横断歩道に向つてゆつくり直進するのを視認したにもかかわらず、警笛を吹鳴することもなく、一たん停止もせず、ただ右自転車より自車の方が先に左折を完了して通り抜けられるものと軽々に考えたところから、大回りして右自転車の右後方より漫然右速度のままに右自転車を追い抜きつつ進み続けたため、右横断歩道上の真中あたりで後方からくる加害車に気付かない原告車の進路に立ちふさがつて自車の左側後部荷台附近を原告の前輪付近に衝突させたうえ、原告を右自転車とともに右横断歩道を僅かにはみ出たあたりへ転倒させ、原告は左へ倒れて胸部を強打するなどして後記認定の傷害を負つた。
<反証排斥略>
第二原告の被つた傷害について検討する。
<証拠>を総合すると、原告は本件事故によつて、頸椎捻挫、右肘・右膝・胸部打撲、右手関節捻挫、右手打撲挫創、左第五指打撲の傷を負い、昭和五七年一月七日王子生協病院の医師佐藤達郎は、骨損傷をみとめず、右手背創は汚れていて感染を以後合併、右手以外の打撲、捻挫部の経過は良好と診断した。原告は、右の受傷のため、昭和五六年一一月一六日から同年一一月二五日までの間にわたり、七日間病院に通院して治療を受け、全身の痛みや首の痛み、手の脹れ等は翌年初頭ごろまで続いたものの、乳児を含む子供の世話や家事が気になつて通院は右の二五日までで打ち切り、それ以後は苦痛を我慢しながら自宅で市販薬による手当てを続けたが、同年一ぱいは日常の家事もさほど果せず、また田村合本の仕事もほとんどできなかつた。
右のとおり認められる。<反証排斥略>他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
第三損害について判断する。
一治療費及び家政婦代について 金九万〇五二〇円
本件事故のため、治療費及び家政婦代として、原告が金五万五六二〇円(治療費)及び金三万四九〇〇円(家政婦代)を支弁したことは当事者間に争いがない。
二休業損害について 金二〇万九二九一円
1 原告が少くとも金八万九二九七円の休業損害を被つたことは当事者間に争いがない。
2 原告は、それ以上に、すなわちその主張のとおりの休業損害があると主張する。
原告の右主張の根拠は要するに、原告とその夫である訴外田村敏郎とが経営の任に当たつている訴外田村合本美術株式会社の売上減に伴う収入減をもつて直ちに原告自らの休業損害であるというにある。しかし、原告本人尋問の結果によれば、同訴外会社はいわゆる青色申告をする法人であつて毎年度に確定申告を行い、原告は同訴外会社から年額七九万円の賃金の支払を受けているものであつて、同訴外会社の売上減に伴う収入減をもつて直ちに原告の休業損害とみることはできないから、原告の右主張は採用できず、その他原告の全立証あるいは本件全証拠によるも、原告の右主張を肯認するに足りる事実関係を認めるに足りない。
3 しかしながら、原告の休業損害については、一か月につき金一六万七四三三円として計算すべき旨を被告らにおいて自陳するので、右金一六万七四三三円を基礎として原告の休業損害を検討するに、前認定の事実関係と弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和五六年一一月中の一五日間は完全に、また少くとも同年一二月一ぱいは七五パーセントのいわゆる休業状態にあつたものと推認され、右推認を覆すに足りる証拠はないから、原告の右休業による損害は、前記金八万九二九七円にとどまらず、次の計算式による金二〇万九二九一円であると認められる。右認定を左右するに足りる証拠はない。
三交通費・雑費について 金四八〇〇円
<証拠>によれば、原告は昭和五六年一一月一六日から同年一一月三〇日までの一五日間にわたり、東京都北区豊島三丁目所在の王子生協病院に通院して治療を受けたが、その間の実通院日数は受傷した事故当日を除き六日間であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。そして右事実と弁論の全趣旨によれば、原告は、右通院により通院費用として一日当たり交通費を含む通院雑費として、金八〇〇円の出捐を要したものと認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(原告主張のように一日につき金二〇〇〇円の交通費・雑費を要したと首肯すべき証拠はない。)。
四慰藉料について
原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、原告は、前記及び後記各認定のとおり、本件事故によつて、前記の傷害を受けて治療をしたが、その期間は、少くとも同年の暮ごろまで至つたこと、他方加害者である被告佐藤が、原告に対する十分誠意ある応待をしなかつたことはもちろん、その雇用主で本件加害車輛の保有者である被告会社も、原告に対する陳謝についてはその従業員にまかせたままかえりみることなく、また損害賠償の支払いについては、これをその加入するいわゆる任意保険の損害保険会社まかせにして今日に至るまで放置し、原告をしていたく立腹させたこと(もつとも、その約款によれば、自動車による交通事故の加害者側が加入している損害保険においては、当該損害保険会社の承認のないまま被害者側と示談して支払を完了してみても、加害者側は右の支払について右損害保険からのてん補を受け得ない仕組みとなつているのが一般であるため、たとい加害者の側にその資力がある場合ではあつても、経済的観点から被害者側との交渉、応待の一切を損害保険会社の事務担当者にまかせきりにしてしまう例の存することも稀ではなく、不運にして右の担当者と被害者側との交渉、対応が円滑でない場合には、加害者側自身がその誠意を疑われることとなる場合もありうるのであつて、右の点の不満を洩らす加害者側ないしは被害者側、特に被害者の必ずしも少ないといえないことは当裁判所に顕著なところであるが、しかし、我が国においては、被害者側を慰藉する方法は必ずしも金員の支払のみに限定されるわけではないと一般常識的には理解されているのであるから、加害者側としては、仮にその資力に十分でない点があつても、被害者側に対する誠意ある対応を示すことによつてする慰藉の道は、なお広く開かれているのである。)、
そして、本件においても、被告会社が現在に至るまで(後記被告会社代表者本人尋問の場において代表者本人が謝意を表し、見舞金一〇万円程度を自ら提供する意思がないではない旨供述したことはこの際別とする。)原告にそれ相応の陳謝をしたことはもちろん、被告会社代表者が原告と顔を合わせたことも、電話で会話を交わしたことさえもないことは、当裁判所が職権で行つた被告会社代表者本人尋問の結果から極めて明白であり、他方原告がこのような被告会社側の対応に強い不満を抱いたことも原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨から明らかであるばかりでなく、原告、被告佐藤各本人尋問の結果及び被告会社代表者本人尋問の結果と弁論の全趣旨によれば、被告会社がその加入する損害保険会社あるいは原告に対して自ら直接(あるいは本訴の提起をみてから後は、被告らの訴訟代理人を介してでも)積極的な働きかけを行い、ないしは自ら損害賠償額の一部負担を申し出るなどして、原告との間における誠意ある解決のための手順を進める努力をした形跡はうかがえず、かえつて当裁判所に顕著な他の一部の例と同様、一切を損害保険会社の側にまかせきりにしてきたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右の諸事情は本件において、被告らの原告に対する慰藉料の額を増加させるに足りる事情とするに十分といわなければならない。
そして、右の点のほか、本件事故の態様、原告及び被告佐藤の年令、職業、被告会社の事業規模、原告の被つた被害及び苦痛の程度等々本件における一切の事情を考慮すれば、本件事故についての原告の慰藉料は金三〇万円とするのが相当である。
五過失相殺について
本件事故の発生に関して、前認定のとおり被告佐藤の過失は大きく、これに対比すると、前認定の事実関係によつて窺える原告の不注意はさほど大きいものとはいいがたいから、本件事故の態様全体をも併わせ考え、損害賠償額の算定につき、原告の右不注意のあることを斟酌してみても、前認定により算定される原告の被つた損害賠償の合計額金六〇万四六一一円が、金五八万円まで減ぜられる程度のことにすぎないものというべきである。
なお、今日の交通事故においては、加害者の側に過失が存すると同時に被害者の側にもその程度は別として大なり小なりの不注意の存することがほとんどである。しかし、加害者側の過失が極めて大きいときは、この過失を、被害者側の慰藉料の算定に当たり考慮すべきのみならずいわゆる過失相殺の検討に当たつても、十分考慮に入れて然るべきものと思われるが、さればとて、他方被害者側に存する些細な不注意をも厳密に論じてすべてこれを正確に過失相殺の資料として把握し、損害賠償額の算定に当たり斟酌すべきものとすることが、果して民法七二二条の法意に沿うものかどうか疑問なきを得ない(もしいかに些細な被害者側の不注意であれ、これをも取り上げて損害賠償額の算定に当たり斟酌すべきものとするならば、同時に他方では、不可抗力の場合は別として、通常の交通事故においては、民事上いわゆる免責とされる場合はほとんど存しないこととなる可能性なしとしない。)。<以下、省略>
(仙田富士夫)